「写真は記録である」という視点で捉えることでテーマをもって写真を撮り続けられる、という話

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どうもこんにちは、藤(@yutaro_fuji)です。
久しぶりのブログ投稿ですが写真ネタでどうしても伝えたい事があったので書きました。
この記事は写真を始めたのはいいけど何を撮ればいいかわからない、写真がマンネリ化してきたという人向けに書いています。

写真は記録であるということ

作品を撮り続けていく中で分かったこととして「写真は記録である」ということです。
後ほど話しますが、作品を作っていくうちに写真を撮るという行為自体が物事を記録に残すことだと分かったわけです。
そして、自分の中で写真には大きく「記録」(記録的な写真)と「表現」(表現的な写真)の2種類があると考えています。
また、この2つの違いについては予め定義しておきたいのでそれぞれネットで調べてみました。

記録

のちのちまで残すために物事を書きしるすこと。

表現

内面的・精神的・主体的な思想や感情などを,外面的・客観的な形あるものとして表すこと。

ざっくりと自分の中では「記録的な写真」とは過ぎ去って行くもの、消えて無くなっていくものを残す行為であり、「表現的な写真」とは感じたものを撮っていく行為と考えています。

写真は日常の積み重ねということ

さて、本題に戻りますが、なぜ「写真は記録である」という視点だと写真を撮り続けられるのかというと、観察することでしか見えてこない出来事が世の中は沢山有るんですよね。
この感覚があると普段の日常でさえ異なったものに見えてしまい細かい発見が非常に楽しいんです。
良く同じ日常はない、と言われますがこれがまさにその通りだろうと。
繰り返される日常に少しずつ訪れる微妙な変化は記録として価値を生むもの、と捉えています。
その「記録」という筋道で撮り溜め、まとめていくことによってコンテキストが出来上がり、写真に説得力を持たせることができ、結果、その裏付けされた理屈に基づいた作品が完成するのではないかと思っています。

どのように記録として捉えるか

では、記録は大事なのは分かったが、どのように記録として捉えればよいかと考えた時にオススメの方法があります。

  1. 定期的に同じ場所、同じ時間、同じ曜日に行くこと
  2. 観察すること

特に1の方法は自分も実践しているのでオススメです。
月ごとや年ごとでは微妙な変化に気づかないので週ごとがいいと思います。

定期的に通うことで観察にもなり、微妙な変化に気づくはずです。
そうした変化というのは写真として記録として価値がでるものだと思っています。

代官山17番地はまさに記録だった

ハービー・山口さんの写真集に代官山17番地というものがありますが、これは非常にわかりやすい例です。
かつて代官山17番地に何があったかというと1927年に竣工した同潤会代官山アパートがありました。今では代官山アドレスという都市型複合住宅になっています。
この同潤会アパート取り壊しが決まったんですね。代官山17番地の魅力を感じて取り壊される前に撮り続けたのがこの写真集です。
今ではこの写真集は記録的な資料として非常に価値があり、まさに「記録」として残っているわけです。

(余談ですが、現在、書店で購入することはできないのでもし見たい人がいれば恵比寿にある写真集食堂で見ることをオススメします。)

言ってしまえばこれから無くなるであろう代官山17番地を撮り続けていたわけですが、それを記録としてとらえ残していったことに写真家としての嗅覚があったのではないでしょうか。

最後に

写真は「記録」である、という言葉は横木安良夫さんが仰っていました。その時は何のことか理解はできていませんでしたが、こうして記録として写真を残して行けば行くほど
実感していきました。記録として残していく写真は本当に面白いので是非実践してみてください。また、せっかく記録の話をしたので3年間撮り続けてきた俳優の朝戸佑飛くんを時系列に載せて終わりにしたいと思います。
それでは、また。

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この記事を書いた人

藤 祐太郎

都内在住のWeb・アプリのディレクター。
都内Web制作会社勤務。
中規模~大規模サイトまでのディレクションを担当。現在は、アプリの開発ディレクションを担当する。

クライアントの課題解決に対して答えるべく日々活動している。