カメラよさようなら

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昨日、写真の話題を肴に飲んでいた。
そこで、これからの写真表現についての話があったので備忘録として残しておきたいと思う。

「写真」という言葉はなくなるのではないか

「写真」という表現が他の芸術的表現との境が曖昧になりつつあるのではないか、という話題。
テクノロジーが発達した現代において、必ずしも「カメラ」という媒体を使って写真を撮ることなく、写真が成立するようになった。
自分もメディア芸術祭で見たことが有るが、Goolgeマップの画像を使って自身の作品に昇華している作家がいるように必ずしもカメラで撮影したものが全てではないということだ。

直近ではドイツの写真家トーマス・ルフの展示が記憶に新しい。
彼は写真に対して高い技術を持っており、完璧な構図・ライティングで撮影されたポートレートは一見の価値がある。彼も同様にインターネットを駆使し、収集した画像に対して様々な表現にチャレンジしている。
それは自身の求めている写真表現を追求するためにテクノロジーを駆使して新たな写真表現に挑戦している。

まさに写真というより「画像」そのものだ。
これによって、「写真」という表現が曖昧になっていくのでは、という話だった。
結果的に「現代美術」という表現に近づくのではないか、それがこのテクノロジー時代における写真表現なのではないか、ということだった。

世の中の様々な出来事にアンサーしていく写真

スマートデバイスの普及により誰でも気軽に写真をとることが撮ることができる時代だからこそ、「何で撮ったか」は重要ではなく「何故撮ったか」という話はよく聞くことが多いと思う。
加えてこれからのスタイルとして、世の中の出来事や物事に対して「回答」をしていくような写真がもっとあってもいいのでは無いかという話題。

流行に乗るのは全く悪いと思っていないのだが、「迎合する写真」が多いことに疑問を持っている。
たしかに、「あの人みたいに上手い写真を撮りたい」、「どうやったらあの構図を撮れるようになるんだろう」という姿勢で技術を磨くことはいいと思うのだが、ゴールが「あの人の写真」になっていることに対しては正直疑問に思う事が多々ある。

また、これだけ情報が消費され、物凄いスピードで世の中で動いている現代においてなんだか見逃されている事が多いと感じるようになった。
それらの出来事にフォーカスをあて、世の中の問題や課題に対して写真でアンサーをしていくというやり方は、これからの時代に必要な取り組みなのではないかという考えに至った。

今後の取り組み

さて、ここまで大風呂敷を広げて取り組まないわけにも行かないので、目標として来年の某コンペにこれらを踏まえた作品を出す。
実は早速撮りためてはいるので、あとは今年の反省を踏まえてきちんとフォーマットを作り上げ提出しようと思う。
まぁ、はっきり言って自己満なのだが、せめて一言ぐらい言ってやらないと気がすまない難儀な性格なのである。

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この記事を書いた人

藤 祐太郎

都内在住のWeb・アプリのディレクター。
都内Web制作会社勤務。
中規模~大規模サイトまでのディレクションを担当。現在は、アプリの開発ディレクションを担当する。

クライアントの課題解決に対して答えるべく日々活動している。